気まぐれ仙台遠征2005

遠征日:2004/12/23〜24
掲載日:2004/12/29


序章

1ヶ月前、関西遠征に行ったばかりなのに、
今度は仙台である。
泉区にあるスケート場「コナミスポーツクラブ泉」が、
2004/12/25 で閉鎖になる、という情報が入ってきたからだ。
その見納めとして今回の遠征を決めたのだった。


第1章:仙台へ

埼玉を出発したのは、23日(祝)の午前4時。
昼頃に仙台着を目指すと、これくらいの時間になる。
深夜であれば道路もすいているし。
久喜から東北道に乗る予定を新国道4号に切り替え、矢板まで北上。
しかし、予定より大幅に遅れ始めたため、東北道に乗る。
午前7時。猪苗代の手前で仮眠を取る。2時間の車中泊。

午後12時30分、泉インターに到着。
過去に、仙台市内にある「勝山スケーティングクラブ」側から
北上して向かったことがあったが、泉インターからは南下になる。
持ってきた電子地図はデータが荒すぎて、詳細な表示ができない。
インターを下りてすぐに見つけた「泉中央」方面への陸橋に乗りそびれたり、
交差点を曲がり損ねるなどで余分な時間を消費。
近くの家電量販店に立ち寄って、ネットで確認し直す。
実は、すぐ近くまで来ていたのだった。
午後1時30分。ダイエーに到着。


第2章:ダイエーのリンク

仙台遠征は今回が2回目。
前回は勝山がメインで、泉のリンクは寄り道した程度。
今回はここがメインである。
らせん階段や駐車場... 記憶の通り。
ビデオカメラをまわしながら1階の入り口へ。
ガラスの扉ごしにリンクが見える。
思っていたより、すいているようだ。
入場料が、貸靴付きで510円。特別料金になっていた。
さらに進むと、スケート場特有の冷気に包まれる。
壁が青で柱が黄、部分的に赤など、実にカラフルなペイントがされている室内。
氷の印象は、ホームである東大和などに似ていて、白く粉っぽいドライな感じ。
最近滑った姫路や、製氷業者の東松山とは、だいぶ違う感触。
あとで聞いた話だが、他のスケート場の氷より滑らないと選手たちは言うらしい。
考えてみると、選手が他のリンクに行くのは競技会の時くらいだろう。
競技用に充分メンテナンスされた氷と、一般滑走時の氷では、清掃具合が違うのも当然。
おそらく、それだけのことではないだろうか。
ついでに、前回立ち寄った上階の窓に移動して見下ろしてみた。
ガラスを補強している鉄線のおかげでカメラのピントが室内に合わない。困ったものだ。

そういえば、ここから選手たちの練習を眺めて喜んでいた女性ファンが居たっけなぁ。


第3章:仙台泉の人々

掲示板に服装などの特徴を書いておいたし、
これだけ目立ってカメラを構えていれば、誰か気付くだろう。
氷上には、ダンスブレードの男性、ホッケーファミリー、スピードスケーターが3人。
ほかには、フィギュアのコスチュームを着た子供たちや一般の人々。
そして、小さなフィギュア選手をリンクサイドから目で追いかけるお母さんたち。
しかし、いつまでたっても気付いてくれる人が現れない。
唯一、マスターズの参加者で見覚えのある人を見つけた。
仙台から参加している外人さんである。
やや離れた場所から会釈程度のモーションをかけてみたが、全然気付いてくれない。
いや、気付くどころか、かえって「怪しいヤツ...」なんて目で見られてしまった。
夕方になると選手たちが徐々に現れ、適度な混雑具合になってきた。
すいていたのは、先生方が全日本へ向けて出かけているため生徒が少なかったからだそうで、
いつもであれば、もっと混雑しているとのこと。

またしばらく滑る。そろそろ煮詰まってきた。
午後5時、帰り支度。
バッグを肩にかけ、外に出る前にもう一度リンク全体を眺めていると、
「宮城スケート競技を考える会」の管理人Yさんが声をかけてくれた。
やっと見つけてくれた人がいた。ちょっとホッとする。
家でケーキを作る約束をしているそうで、
子供たちが「ケーキ、ケーキ!」と大はしゃぎ。
その後もリンクを見渡していると、
今度は子供たちに指導している最中の先生が合間を狙って声をかけてくれた。
本当に嬉しい限りである。

同じダイエーの建物にあるラーメン屋で腹ごしらえ。
そういえばこの店、前回の仙台遠征では牛タン塩ラーメンを食べたかな。
ひさしぶりに食べてみようと入ってみたがメニューには無く、他のものを注文。
駐車場の車に戻ってのんびりしたついでに、給油を済ませる。
地図を見ながら今後の作戦を練っていたが、エンジンを止めているため寒い。
時計を見ると午後7時を過ぎていた。
一般滑走が終了したリンク。上階の窓にから眺めてみた。
小さなスケーター達が縦横無尽に滑っている。
クラブの練習が始まったようだ。
ずうずうしくも、レッスン中のリンクに入って眺める。
ほとんどの子がダブルアクセルを跳んでいる。
午後8時、生徒が入れ替わって平均身長が一気に上がった。
ひとり、男性がものすごい高さのジャンプを跳んでいてクギ付けになる。

しばらく見ていると、
リンクサイドから「宮城スケート競技を...」の管理人Jさんが声をかけてくれた。
先生方ご不在の中での閉鎖のこと、今後の練習場所のこと、
通いが遠くなるジュニア選手たちのこと、仙台中心部のイルミネーションのことなど、
あれこれと1時間近くも話した。
気付くと、クラブの練習も終わっていた。


第4章:帰り道

明日の平日24日を過ごせば、あさっての閉鎖の日に立ち会える。
車の外気温計ではマイナス3度。さすがに東北は寒い。
車中泊用の防寒装備はあるが、ここで思い出した。
25日は富士急遠征だったのだ。
すでにサイトで公表してしまっているため、取り消すわけにはいかない。
やはり、帰ることにした。

23日午後11時、泉を出発。
白河のあたりでは、往路でも復路でも雪がちらついていた。
国見サービスエリアで仮眠、足元の寒さで目が覚める。
那須高原サービスエリアでも仮眠、陽射しが暑くて目が覚める。
久喜インターを経由して、帰宅。

今回は、ここまで。


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